鳴門市議会 2020-12-01 12月01日-03号
この古墳群が造られた時代には、畿内及び周辺地域との交流が進み、阿波で産出された石材の青石や貴重な赤色顔料として用いられた水銀朱を海を越えてもたらすなど、阿波の文化、産物が少なからず畿内に影響を与えたとの見解が研究者から示されています。
この古墳群が造られた時代には、畿内及び周辺地域との交流が進み、阿波で産出された石材の青石や貴重な赤色顔料として用いられた水銀朱を海を越えてもたらすなど、阿波の文化、産物が少なからず畿内に影響を与えたとの見解が研究者から示されています。
次に、弥生時代後期から古墳時代初期にかけての赤色顔料「水銀朱」の原料となる辰砂の採掘遺跡である水井町の若杉山遺跡の発掘調査の進捗状況についてであります。水井町(すいちょう)と長年言われておりますが、地名辞典等では水井町(すいいちょう)というのが正式な地名でございます。あえて付言させていただきました。今年度の調査では、辰砂を採掘していた坑道跡を確認いたしました。
水銀朱とは、辰砂と言われる鉱物から生み出される赤色顔料で、この辰砂を採掘していた場所が、そこから5キロメートル離れたところにある阿南市水井町(すいちょう)、正式には水井町(すいいちょう)らしいですが、私どもは水井町(すいちょう)と呼んでおります。水井町の若杉山遺跡であります。若杉山遺跡は、この時代の辰砂採掘が確認された全国唯一の遺跡となります。